2012年3月11日日曜日

将棋の米長邦雄永世棋聖のファンです。 常識にとらわれない大胆かつ奇想天外な構想...

将棋の米長邦雄永世棋聖のファンです。 常識にとらわれない大胆かつ奇想天外な構想、卓越した終盤力、
盤外では歯に衣着せない発言とユニークな人柄に惹かれますね~彼ほどの大棋士がたった一期しか名人になれなかったのは今だに不思議です。~思い起こせば新進気鋭の羽生少年、NHK杯戦で米長さんと初対局、子供位年齢差ある羽生さんに 渾身の力でもって本気で戦い 健闘虚しく敗戦、、あの時に世代交代と共に米長時代の終焉を感じました。~何故彼のような大棋士がたった一期しか名人になれなかったのでしょうか?


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名人 1期(第51期)

十段 2期(第23期~24期)

棋聖 7期(第22期・36期・43期~47期)

王位 1期(第20期)

棋王 5期(第4期・第6~9期)

王将 3期(第32期~33期・39期)

登場回数合計48、獲得19



大山、中原両永世名人とほぼ同じ時期の棋士としてはある意味抜群の成績ですよね

特に中原棋士はあの頃全盛でとてつもなく強かったように思います

現代の棋士の対戦を見ても棋士同士の相性は間違いなくあるようで、米長さんにとっても中原さんは相性の悪い相手だったんではないでしょうか

それと名人戦はA級棋士のリーグ戦によって挑戦者を決める形なので、あの羽生さんにしても簡単に挑戦者にはなれません

4連覇した森内さんも、今度すぐにまた挑戦権を取れるかというとそう簡単ではないと思いますよ



今調べたら8回登場していますね

そのうち6回が中原名人戦で1勝5敗

A級在位29年で8回ですから少ないとは言えませんが、防衛に専念できる名人と長いリーグ戦を勝ち抜いてやっと挑戦できる人との精神的な差はやはり小さくないんじゃないかと思います



まあ、こういう複合的な要素が合わさってなかなか取れなかったという事じゃないでしょうか?



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結局のところ、中原十六世名人の方が強かったという事でしょう。

名人戦における中原さんと米長さんの対局棋譜をいくつか見て感じたのは、中原さんは米長さんと同等の中終盤力を持ち、かつ序盤においては米長さんより少し秀でていたという事です。

米長さんが作戦負けから次第に不利になり、そのまま負けてしまうケースが多かったように思います。

他の棋士なら得意の中終盤力で逆転出来ても、中原さんにはそれがなかなか通じなかったのではないでしょうか。

ちょっとした差だと思いますが、トップレベルでは実に大きな差で、その差がそのまま二人の対戦成績(米長さんから見て80勝106敗1持将棋)になって表れていると私は見ています。

(名人戦では、谷川さんと羽生さんにも負けていますが、やはり同様の理由からだと思います)



※ちなみに、私は加藤一二三さんが一期しか名人を獲得していない事の方が不思議です。


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終盤型で、攻め将棋というのが祟っているのではないでしょうか。

なんとなく羽生や加藤と似ていますよね。他は勝つのに名人戦に勝てないというのは。

名人になる人は、受け将棋の棋士、あるいはバランスのよい棋士が多く、番数や時間の長い勝負では攻める方が苦しくなるのではないでしょうか。



もちろん、中原や大山の存在は、非常に大きな要素だと思います。この二人が長期間名人を取りすぎなんでしょう。

桐山、森も、取っていませんし。加藤も遅かったですね。

名人獲得がむずかしかったのは、同世代の棋士全般にいえるのではないでしょうか。



米長ファンに面と向かっていうのもナンですが、米長さんって、最近、ネットでは評判が非常に悪いですよね。

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